「古色霖雨」 

ちょっとした短編?的なもの。

『古色霖雨』



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 バシャバシャと音を立てる足元は、水溜まり。暗い空を映すそれらは、ぐしゃりと歪む。しとしとと静かに、しかししっかりと雨は降り続けていた。
「けんちゃん、ねこ!」
 唐突に女の子は叫び、傍らを歩いていた男の子は顔を上げる。甲高い声は露地に響き、そして雨音に掻き消される。溝を流れる水の音が、ごぽごぽと聞こえた。
 女の子は立ち止まり、一心に指を指していた。小さな人差し指の先には、電柱の下にうずくまっている小さな猫。女の子の叫びにも動じず、ただじっと座っていた。
「ホントだ、ねこだ」
 その姿を視界に認めると、男の子は関心が無いかのように静かに言った。猫を見ていた彼の視線は、しかしすぐに女の子へと戻される。じっと猫を見つめる彼女は、男の子が思った通りにダッと走り出した。電柱の傍、猫の元に向けて一目散。水溜まりを跳ね上げる長靴で、それでも危なげ無く駆けていた。
 バシャンと大きな水溜まりに飛び込んで、女の子は足を止めた。男の子も首を傾げて歩み寄った。驚いて逃げると思っていた猫は、全くその体勢を変えずにその場にうずくまっていた。女の子がしゃがみ込んで手を伸ばしても、猫はぴくりとも動かなかった。
「ねーこーぉー?」
 ツンツンと猫の背をつつきながら、女の子は声を掛ける。そこでようやく猫は、面倒臭そうにのんびりと顔をこちらへ向けた。重そうに濡れた毛は灰色。今の空をそのまま写し取ったかのような、曇天の色だった。
「みーちゃん、早く行こう?濡れちゃうよ」
 女の子のレインコートをついと引いて、男の子は声を掛けた。けれど女の子は、灰色の猫の顔を覗き込んだまま動こうとはしなかった。
「みーちゃん」
 もう一度呼び掛けたとき、答えたのは女の子ではなかった。にゃあと一声鳴いた灰色の猫は、ゆっくりと立ち上がると、やはりゆっくりとした足取りで、男の子の足元へと寄り添った。男の子も女の子も、黙ってその様子を眺めていた。
 ごろごろと喉を鳴らした灰色の猫は、もう一度男の子を見上げると、雨の中を歩き出した。びしょ濡れの猫は、水溜まりを避けることもせず歩いていた。
「あ、まって、みーちゃん!」
 女の子はそう叫ぶと慌てて猫を追い掛けた。
「けんちゃんもはやく」
 ちらっと後ろを振り返り、男の子に向かって手を振るとまた猫を追い掛けた。
 男の子は首を傾げて、女の子を追い掛けた。


 ゆっくりと歩く猫を追い掛けるのは、たやすいことだった。すぐに追い付いて、横に並んで歩く。猫は逃げようとはしなかった。
「なんでみーちゃんなの?」
 追い付いた男の子は、女の子に尋ねた。
「みーちゃんがみーちゃんだよ」
 女の子を指差して、男の子は首を傾げた。女の子はくるりと男の子の方を見て、不思議そうな顔をした。
「だってけんちゃんがみーちゃんってよんだから、おへんじしたんでしょ?」
「でもぼくはみーちゃんのことよんだんだよ」
「でもぉ、みーちゃんだよ」
 女の子が指を指してそう呼ぶと、猫はほんの少しだけ足を止めて振り返った。すぐにまた歩き出すが、女の子は手を叩いて喜んだ。
「ほらねー!」
「ほんとかなぁ…」
 にっこりと笑う女の子とは反対に、男の子はどこか不満げに相槌を打った。


 迷う事なくすたすたと歩いた猫は、やがて1件の古い家の門へと入っていった。女の子と男の子は、足を止めた。
「ここのねこさんなのかなぁ」
 女の子がそう言った。
「でもこのいえ、だれもいないってママがいってたよ」
 答えるように男の子が言った。小さな傘からは雫が零れている。まだ雨は止みそうにない。
 コンクリートブロックに囲まれた古い家は、雨の景色に溶け込んでいた。
「みーちゃーん」
 女の子は控え目に呟いた。しとしと降り続く雨は、そんな小さな声を打ち消した。返ってこない返事に、女の子は頬を膨らませた。男の子はオロオロと様子を見ていた。
 女の子は、家の敷地へと一歩踏み込んだ。続いて門をくぐり、あちこちを見回す。それでも猫は見つけられなかった。
「みーちゃん、ダメだよ」
 男の子の声が女の子の背に届いても、女の子はすたすたと中へと足を進めた。男の子は仕方なく、女の子のあとを着いていった。



 雫が滴り落ちる木の下で、灰色の猫はうずくまっていた。向かい側に見える家の中に、動く影はひとつも見えない。薄いガラスの引き戸の奥は真っ暗で。
 灰色の猫は、決して開くことのない窓を開けてほしくて、にゃあと鳴いた。
 遠くから、女の子の声がする。灰色の猫は、ぴくりと耳を動かした。動かして、そのままだった。
 ザァと降り続く雨は、静かながらも止む気配はなかった。



 傍らの木から、まっかな椿がぽとりと落ちた。


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